静岡伝統の手漉和紙『郷島冷泉手漉和紙』
静岡市内を流れる安倍川を20kmほど上流に行ったところにある郷島という紙漉の里があります。
今から450年ほど前の永禄年中に始められた紙漉は、はじめは自家用だったり近村で使う障子紙や半切紙として使用されていたものを産業化し、江戸後期から明治にかけて安倍川水系で最も多くの紙を生産していた山村です。
昭和初期には天皇陛下も郷島紙を求められたということで、『駿河半紙』と呼ばれていたそうです。
駿河和紙の歴史は古く、現在確認できる最古の記録としては平安初期の『延喜式』という宮中での年中儀式や制度を記した書物に、紙を現物租税として収めたというものがあるとのこと。昭和30年代には郷島での産業としての和紙生産は廃れてしまったそうですが、郷島冷泉手漉和紙同好会として活動しているという情報を得て、訪問してきました。
和紙の材料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)、紙漉きに欠かせないトロロ葵や製造工程など、色々と教えていただきながら、染色のこと、歴史的背景などなど興味深い話が盛りだくさんでとても興味深い時間を過ごすことができました。
特に郷島で和紙の生産が盛んになったのには、良い軟水が豊富にあって、日当たりが良いのに風が強くないなど好条件が揃っていたことが理由に挙げられるそうです。郷島という地名も、安倍川が合流する土地というのが由来らしく古くは「合島」と書いたのだそうです。
こういう歴史ある場所で伝統を復活させ、自ら楽しみながら文化を継承する活動をされているというところがとても魅力的だと思います。ちなみに、右側の写真は紙を漉くときに使う「漉き船」というものですが、和船大工だった故近藤氏がつくったものなんだそうです。徳川家康と縁の深い八丁櫓を復元した近藤氏の作品とわかると、感慨深いですね。
江戸時代に駿河名産の賤機紙子(しずはたかみこ)は後に安倍川紙子として桐油(とうゆ)を塗った道中合羽(懐中合羽)にもなり、全国に知られるようになり、唐草文様などを刷って旅人の必需品として、またお土産品として広まっていったそうです。東海道五十三次にも登場しているらしいです。
日本の紙幣(日本銀行券)は、三椏を原料として作られているもので、世界に誇る品質の高さです。印刷技術もさることながら、紙がパリッとしていて丈夫なんですよね。これは、和紙の文化を磨き上げて明治15年に日本銀行が発行したという歴史があるものです。
生活様式は洋風になっても、根っこを支えているものとして和の文化が活きつづけているというのも良いものですし、できるだけ多くの人に知ってもらい誇りに感じたいものですね。
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