徳川家康公は、薬膳マニアだった?
徳川家康が、江戸に幕府を置いて今年で400年。
東京では、都の行事として開府400年祭を催すそうです。
そして、その徳川家康が幼少のころに過ごした地である静岡に隠居し、大御所として大御所政治を開始したのが開府の翌年ですから、来年は「大御所家康公駿府城入場四百年」ということになります。
今日、「徳川家康公駿府大御所開府四百年市民の会」が主催するシンポジウムが開かれました。
残念ながら、今回のシンポジウムには参加することができませんでしたが、何かしらの形でお手伝いしてみたいなあと思ってます。
ところで、家康公といえば、相当のグルメだったようですね。
徳川家康のグルメ話には下のようなものがあります。
- 有東木のワサビを門外不出のものとして保護し珍重していた(その後、こっそりと伊豆に持ち出されたらしいです。)こと。
- 焼津港のカツオ船だけは鮮度の良い魚を持ち帰るために八丁櫓(オールが片舷に四本ずつ装備した舟で、他の漁港の舟は軍事的な理由から六丁櫓までしか許されなかった。)の建造が許されていたこと。
- 京都の豪商茶屋四郎次郎が、当時上方で流行っていた鯛の天ぷらを献上したところ、大変気に入って食べすぎてお腹を壊し、そのあとに鷹狩のために行った田中城でそのまま帰らぬ人となってしまったこと。(家康、胃がん説もありようですが。)
などなど、色々な逸話がありますね。
家康公は、75歳という当時としては驚異的な長生きだったわけですが、これにはヒミツがありそうです。
というのも、家康公は、食べ物への興味と体調管理の観点から薬膳の聖典「本草網目」を研究していたという説があるんです。(全日本薬膳食医情報協会HPはこちら)
家康公が晩年を過ごす地として駿府を選んだのには、「温暖な気候で、季節ごとに新鮮な海の幸山の幸が豊富に手に入る場所」という理由もあったかもしれませんね。
これから、この点についてはもう少し掘り下げていきたいと思います。
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